3.11関連の内容となります。
この手の内容に興味のない方は、お戻り下さい。
また、この内容を「自己満足」「自己陶酔」と取られる方もいらっしゃると思いますので、この時点でそう思われた方もブラウザバックをお願い致します。
…とは言え、私自身「偽善的」な事を書くつもりはありません。
震災に心を痛め方は数多く居ると思います。
被災された方、親族や友人が被害に遭われた方…
…勿論、震災や被災者のことなど全く考えていない人も居ると思います。
そのドチラに対しても何を言うでも、感じる訳でもありません。
あくまでコレは「私自身の想い」から来るモノです。
[0回]
一年前の今日、この時間。
東京でも、かなりの揺れを感じた。
それから数分後、子供の頃に住んでいた街が津波に押し流される光景をTVを通じて見た。
その後のこの日は、自宅電話、携帯電話、公衆電話、メール、更にはNHK等の安否確認の電話受付など…
考え得る手段を講じて、被災地および被災周辺地に連絡を取ろうとした。
…当然、繋がる訳はない。
その日から数日および数週間は、両親、兄妹、親戚、友人、知人との連絡を取る事だけに意識を割かれていた。
結果、1ヵ月後には大半の安否を確認。
…が、その後2ヶ月程の間に行方不明のままだった友人、知人の死亡を被災地の友人を通じて確認。
(※この「被災地の友人」は、今年の1月以降、よく私のブログに出てくる「幼馴染」です。)
今日は何やら、twitter上ではこの時間帯に「1分間の黙祷を」などと言う事を提唱しているみたいですね。
また、TVなどでも「1年目」と言う事で様々な番組が組まれたりもするでしょう。
この事に関して、既にネット上では賛否両論でかなり白熱してるのも目にしました。
某所などは…今更言う事でもないですが、酷い有様でしたが。
どちらにせよ、正直、私は「その手」のモノに乗ろうとは思いません。
…が。
命を落とした友人達はもとより、今も遅々として進まない復旧の中でも精一杯頑張っている友人・知人達の事を想い、コレを記しています。
恥ずかしながら…いえ、言うなれば「都合がいい」とも言えるのかもしれませんが…
災害の怖さや悲惨さは理解していたつもりでしたが、「阪神・淡路大震災」の時は、自分自身および身内・知人とは全く関わりが無かった事から、それほど強く意識に刻まれる事はありませんでした。
…が、実際に自分の身内が渦中の存在となった今では、それまでよりもずっと「災害」に対して神経質になりました。
また、「人の命」の事も今まで以上に深く考えるようになりました。
…勝手なものですね。
あの震災を境にして、私の周りでは様々な事が変わってしまいました。
勿論、ココにも実際に被災された方がいらっしゃるでしょう。
また、友人や知人を亡くされた方もいらっしゃるかもしれません。
「その魂を悼み、皆で黙祷を」
…などと偽善的な事を言うつもりはありません。
私は私なりに、彼らの事を想い「祈り」を捧げさせて頂きます。
…お目汚し、失礼致しました。
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